長男幼少期②
こんばんは、どんぐりです。
眠れないので、書こうかなと。
まとめるの苦手なので読みづらかったらごめんなさい。
長男が小学校に上がる直前の春休み、スパルタでひらがなを教えた。
もう、虐待と言われても仕方ないが、頭を引っ叩きながらのあいうえお練習。
今まで、鉛筆もろくに持たせなかったのに…
今思うと、私ってひどい母親ですよね。でも、どうやって教えて良いのか分からなくて、出来ないとすぐヒステリックに怒ってしまうのでした。
可哀想なことをしたなぁと、反省するばかりです。
良いことしたら褒めてあげようと思うのだけれど、褒めるところがひとつもなくいつも怒鳴ってばかりでした。
私からすると、へんてこりんな個性の持ち主だった長男。
コミュニケーション取るのは下手だが、人が好き。
だから、話を聞いてくれたりするお母さんたちが大好きだったわけで。
でも、私は人付き合いが下手なので、ママ友は1人もいませんでした。
それなのに、突然ママさんたちが集まってるところに走っていきヘンテコな踊りをしたりする。かまって欲しかったのでしょうね。運動神経が悪いから本当にタコ踊りみたいな?笑
今思い出しても、ちょっと悲しくなります。
本人に、最近になって聞いてみたのですが、何故あんなことしたのか分からないけど、やっていたことは覚えているそうで。本人曰く、俺の黒歴史だそうです。笑
これは、幼稚園の年中位の出来事でした。言葉も遅く、だけど体が大きかったので、影で知恵遅れと噂をされていたと知りショックで幼稚園を辞めました。笑
この噂は、義姉に聞いたので本当かどうかは分かりませんが、多分本当だったと思います。私自身、長男を連れて歩くのが恥ずかしいと思っていましたから。何か変だ、知恵遅れ?でも、一応喋れているし。
発達障害なんて言葉も知らないし、障害という言葉に拒絶反応し、うちの子はちょっと頭が悪いだけと言い聞かせた幼少期でした。
小学校入学してから、ひらがなや足し算引き算は、毎日つきっきりでやりました。長男には、人の3倍やって普通なのよ!と言い聞かせていました。
九九は、毎日車に乗って買い物などに行く時に口伝えで、暗唱させました。
応用問題が本当にできなかったので、漢字と、計算だけは、せめても点が取れるところだからと3年生までは頑張って教えていました。
そんなある日、次男の妊娠が発覚。
つわり、実母とのいざこざなどで手一杯。ここから、長男を放置してしまったのです。
実母とのいざこざの原因は、主人の稼ぎがあまり良くなかったからでした。
主人も頑張っているのになかなか仕事が上手くいかない、そんな時期でした。
長男が生まれてから、引っ越した回数すでに5回目です。
実母の監視がひどいが、稼ぎがあまり良くなかったので、世話になるしかなかったのです。
近くにいすぎると私の精神が崩壊してしまうということで離れたりくっついたりの繰り返しでした。
今は、駅3つ分離れたところに住んでいます。
やっと、自分らしく生活できる様になりました。
アレルギーっ子
こんにちは、どんぐりです。
まとめるのが苦手なので、読みづらかったらごめんなさい。
うちの息子は2人ともアトピーです。
特に長男はひどいアレルギーです。
鼻炎に喘息もありました。
喘息は小学5年生ころから出なくなりました。
血液検査をしたところ、白米や小麦、フルーツ全般に高い反応がありました。
でも、白米大好きっ子なうえ、偏食さんなので中々改善できません。
顔に出てしまうアトピーの為、飲み薬が3個出されているのですが、本人は全く気にする様子がなく、むしろ治したくないようで薬を飲まないという困った子です。
皮膚科の先生には、年頃になれば他人の目を気にして治すようになると言われていたのですが、まだまだ先の様です。
次男もアトピーですが、手や足や関節に出る程度、野菜大好きっ子なので症状は軽いほうだと思います。
喘息や鼻炎は今の所ありません。
長男幼少期
こんにちは、どんぐりです。
まとめるの苦手なので読みづらかったらごめんなさい。
さてさて、長男はすくすく成長し同じ年頃の子供たちよりも頭一つ大きかったです。
そして、私はどうも子育てが下手なのか周りのママさんたちみたいにテキパキ子供のお世話して、家事をしてということができませんでした。
そして、産後鬱みたいな状態だったんだと思います。
実母は、とても神経質で高圧的な人でした。
近くに住んでいた為、毎日のように見に来ては、あーだのこーだの指示され、私のペースで私らしく子育てすることはできませんでした。
何だか、全然自分に懐かない息子のお世話と、ガミガミうるさい実母に挟まれ毎日、死んでしまえば楽になれるかなぁとぼんやり思っていました。
そんなこともあり、母にすすめられ
生後10カ月位から保育園に預けることにしました。
リモコンが曲がってもまっすぐにしないと気に入らない実母に、毎日毎日、三つ子の魂百までよ!しっかり躾けなさい!と、呪文のように言われる毎日。
息子は、私には全く懐かずパパ大好きっ子。初めての子供なのに、しかも異性でママに懐かないなんて…
正直、可愛いと思えないし、周りのお母さんたちみたいに育児を楽しみたいのに、毎日うるさい実母が張り付いてて私の自由な時間は眠る時間だけでした。
家計の苦しかった私は、実母の経営する飲食店の事務をやらせてもらいお給料をもらっていたので、嫌でも毎日顔を合わせなければならなかったのです。
実母は、長男を溺愛していました。それは、本当にありがたかったんですが、うるさくすると小銭を渡しカードゲームやらガチャガチャを買い与える大人にとって都合のいい子供にしていったのです。
何度、やめてと言ってもおばあちゃんだからいいのよね?お母さんがやったらダメだけど。
それ、たまにしか会わないおばあちゃんならいいけど、毎日会うおばあちゃんがやったらダメじゃない?と、私は心の中で呟くのでした。
長男の幼少期
・ 偏食(野菜、果物一切食べれず)
・歩くのも1歳3ヶ月を過ぎてから
・喋り始めたのも3歳過ぎてから
・食べるのが非常に下手で半分以上こぼしていた
・見た目を気にせず、幼稚園の制服はいつもグチャグチャ
・物を大切にしない
・一人遊びが好き
・お友達とうまく遊べない(いとこにも嫌がられていた。ワガママで、すぐおばあちゃんに言いつけるから)
・大人に遊んでもらうのが好きだった
・運動神経が恐ろしく悪かった(でも特に何も検診で言われなかった。大きいと神経が上手く繋がらないのよねと周りに言われていた)
・集中力があまりない
・協調性がない
・字も書けない(実母が落書きやシールを嫌うのでペンをもたせませんでした)
・スーパー行くと、振り向いたらいない。いつも、大声で名前を呼んでいた。その事でいつも実母と言い合いに。
ざっと挙げてこんな感じです。
でも、3、4歳の頃なんてこんなものだと思っていたのです。
もう、個性出てますよね?
でも、初めての子供だし、しつけが悪いからと言われればそうなのかな?という感じでした。
長男誕生
こんにちは、どんぐりです。
まとめるのが苦手なので、読みにくいかもしれませんがよろしくお願いします。
長男は、
予定日を3日ほど過ぎた、涼しい夏の終わりに3000グラム、50センチといった標準サイズで生まれました。
朝起きると出血していた為、診察に行ったところ、初産ということもあり、不安だろうからこのまま入院しましょうという事になりました。
出血していたけれど、初産だからなのか子宮口はなかなか開かず、風船なるものを入れたりとびっくりする体験の連続でした。
怖がりな私は、なかなか開かない子宮口のせいで、陣痛が長々と続き痛いやら眠いやらでワケがわからなくなり、半狂乱みたいになってました。笑
先生が様子を見に来てくれるたび、来ないで〜と暴言を吐く始末。笑
先生ごめんなさい。
6センチくらい子宮口が開いた頃、先生が赤ちゃんの向きが逆だなぁと呟くと、ちょっとじっとしていてねと言った同時に赤ちゃんをぐるっと反対向きにしたのです。
私はお腹の中がゴニョゴニョと動いたので、すっごくびっくりしてまた半狂乱になり、またも先生に、ぎゃーあっち行って〜と、ひどいことを言うのでした。笑
先生も見かねて、これじゃ産めないね。麻酔してあげようね。と言ってくれました。
そして、麻酔=痛くないと思っていたので、基本麻酔はやらない主義の産院でしたが特別にやってくれるということで、安心した私は、今までの大騒ぎが幻か?と言うほど、静かになったのでしたw笑
分娩室に入って20分くらいだったと思います。
もう、13年も前のことなのでよく覚えていないのですが入院したのが前日の昼頃、生まれたのは翌日の夜8時過ぎでしたね。
出血がひどかったのですが、若かったので立って歩けますと言い、自分で歩いて病室に帰る時のこと。
看護師さんにトイレに行ってから病室に戻りましょうと言われトイレに行きました。
が、そのまま記憶をなくしました。笑
看護師さんが慌てていたのを薄っすらと覚えてます。
血液検査の結果数値が半分になっているという事で貧血と診断され入院が4日も伸びて、早く家に帰りたかった私はしくしく泣いたのを覚えています。笑
そんなこんなで、長男は出産にまつわる大きなトラブルもなく、生まれてきました。